出葉の調色版@ラクイラ愛好会

出葉(てには)が震災のことや防災のことについていろいろ書くだけのブログ。震災記事書き起こし: http://te2ha.blog.jp/

イルピニア地震がイタリアに教えた3つのこと

イルピニア地震ナポリ地震とも呼ばれる)は、イタリアにおいて戦後最悪の被害を出した地震であり、 モーメントマグニチュードは6.9である。そして、およそ3000人の方の命が失われた。

津波や火災などは特になかったが、イルピニア地方は以前から地震が起きやすい地域であり、1930年にも地震が起きていた)に壊滅的な被害を出した。

※イルピニアとは、ナポリ近郊の古い地方の名称。日本で言うところの「薩摩」などにあたるのか?

 

明日(2018/11/23)はイルピニア地震が起きた日だと、以下の記事に書いた。

1980/11/23 イルピニア地震が起きた日 - 出葉の調色版@ラクイラ愛好会

 

さて、この戦後最悪の地震はイタリアの防災対策の分水嶺となったわけですが、なぜそう呼ばれるかは、それは以下の点にある。

 

まず、イタリア市民保護局(Protezione Civile)の統率が厳しくなり、災害時すぐに動けるようになったこと。

市民保護局は全国的な組織なので、2016年のイタリア中部地震の際にはフィレンツェのあたりから救急車が駆けつけたりもする。

日本もそうだが、その統率は国家機関である市民保護局がとっているということである。

 

次に、防災への意識が高まったこと。

イタリアにおいて防災の意識はあまりないとよく言われる(以下記事参照)。

 「イタリアに防災文化ない」地震多発国に重い課題 耐震化進まず、歴史的建造物保全と両立も - ZAKZAK

 

さらに、特に地震のリスクの高い中南部アペニン山脈沿い)において、防災意識が高まる景気を作ることとなった。

1974年に制定された地震対策法の改善に繋がることとなった。

 

イタリア南部・イルピニア地震から38年、だが復興はまだ終わっていない

1980年11月23日、日本では勤労感謝の日に当たる日に、ナポリ近郊で大きな地震(イルピニア地震; terremoto dell'Irpinia)が起き、約3000人の方々の尊い命が失われてしまいました。

この地震は2018/11/21現在、地震大国イタリアの戦後起きた地震の中で最も被害が大きかったものです。

 また、この地震を機に、イタリアの防災対策は変容を強いられ、その結果その後起きた地震ラクイラ地震など)の際によりよい対応ができるようになったのです。

 

つまり、イルピニア地震はイタリアの防災対策における分水嶺となったのです。

 

復興はまだ、終わっていません。

イルピニア地震により傷んだ道路の補修は、2023年まではかかるとされています。

 

Terremoto Irpinia: dopo 37 anni paghiamo ancora un Commissario che vigila sulla ricostruzione di una strada che terminerà nel 2023 – Business Insider Italia

 

ちなみに、イルピニアとはナポリ近郊の古い地域の名前(日本で言うところの、薩摩などにあたります)です。

 

イルピニア地震の当時何が起きたか、日本語訳付きで以下から読めます。

イルピニア地震から38年 - Togetter

 

Esprimo le mie più sentite condoglianze a coloro che sono stati colpiti dal terremoto di Irpinia. Non dimenticherò mai questa tragedia.

 

イルピニア地震の影響を受けた方へ、心からのお悔やみを申しあげます。

 

出葉@ラクイラ愛好会

イタリアの被災地に応援/連帯の手紙を送るには?|どこに出す?何を書く?

 

 

1. 送り方

 

余震が収まらないイタリアの被災地に、応援/連帯の手紙を贈りたい!

 

この記事は、そう思った方への些細な手引です。

 

言うまでもなく、手紙はイタリア語(もしくは英語)で書くべきですが、果たしてどこに出せばよいのでしょう?

 

答えは、市役所(コムーネ)か、イタリア赤十字社です。

 

ただ、赤十字社よりもコムーネに送ったほうが良いでしょう。

 

2. 住所 

 

以下にコムーネの住所の一覧を示します。

最後の5桁の数字は郵便番号です。

 

ラクイラ

Via San Bernardino 67100

 

ノルチャ

Viale XX Settembre 06046

 

アマトリーチェ
Viale Saturnino Muzii 02012

 

3. 内容

 

イタリア語で書くのは難しい、そう思うなら、簡単なメッセージをご紹介します。

 

 

"Sono con te"

"Siamo con voi"

 

意味は、"私はあなたとともにあります" "私達は貴方達とともにあります" です。

 

"Tanti baci da Giappone" (日本からのたくさんのキスを)

 

最も一般的なお悔やみなら、

 

Esprimo le mie più sentite condoglianze a coloro che sono stati colpiti dal terremoto di L'Aquila/ Amatrice/ Norcia. Non dimenticherò mai questa tragedia.

 

被災者や犠牲者に、心からのお悔やみを申しあげます。私はこの悲しい出来事を決して忘れません。

 

 

その他はこちらを参照されてください。イタリア人の友人達の校閲が入っています。

 

イタリア語で「復興を祈る」「被災者の心の傷が癒えることを願う」はどう言う? - 出葉の調色版@ラクイラ愛好会

 

その他、言葉に迷った人には

 

「頑張れ」に代わる言葉はあるが、万能な言葉はない。私達が被災者に伝えていかなければいけないことは、「決してひとりじゃない、私達が側にいる」ということだが、それを伝えるのは難しい。 - Togetter

イタリアの耐震・防災対策における8つの課題と、それを考えるためのリンク集

イタリアにおける耐震・防災対策の課題は以下の8点であると個人の独断と偏見により考えている。

 

1. 鉄筋コンクリート(RC造)が最も耐震性が高いので、イタリアでRC造をもっと普及させるべき

アマトリーチェのRC造(鉄筋コンクリート)に関する資料 - Togetter

2. 古代ローマの建築技術や、ノルチャ(Norcia)の成功例にイタリアは学ぶべき

イタリア中部地震、震源地近くの街NORCIA(ノルチャ)は犠牲者ゼロ | AmicaMako Blog

3. もちろん文化的/歴史的背景が違うのでそのまま技術を受け入れることはできないが、日本を参考にできる点はすべき

日本と同じ自然災害大国であるイタリアの避難所生活/イタリアの「その後仮設住宅が1年経っても2割しか作られない」 - Togetter

4. アマトリーチェラクイラの例などを見るに、歴史的建造物の耐震技術をもっと高める必要がある

5. 良くも悪くも、古いものを大切にしすぎる文化がイタリアにはある

「古いものを長く」イタリア流が裏目に 橋崩落嘆く住民:朝日新聞デジタル

ジェノバの橋崩落事故に関する内容です

6. 財政難が大きな問題である。それはジェノヴァのモランディ橋(Ponte Morandi)の崩落事故からも垣間見える。

イタリアの地震対策が遅れている理由 | ロイター | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

7. イタリア各地に地震計がないことが大きな問題。

イタリアで大地震は震度はどれくらいだったんですか? - 海外の場... - Yahoo!知恵袋

イタリアの地震で地震計iPhoneアプリが3位に | スラド Submission

8. 国民が楽観的すぎる(いいことなんだけど!)

 

その他もっと見たい方へ

イタリアの耐震・防災技術を考える―掲示板のコメント欄から― - Togetter

白い鳥(宮沢賢治の詩)

 《みんなサラーブレッドだ
  あゝいふ馬 誰行っても押へるにいがべが》
 《よっぽどなれたひとでないと》
古風なくらかけやまのした
おきなぐさの冠毛がそよぎ
鮮かな青い樺の木のしたに
何匹かあつまる茶いろの馬
じつにすてきに光ってゐる
   (日本繪巻のそらの群青や
    天末のturquoisはめづらしくないが
    あんな大きな心相の
    光の環は風景の中にすくなくない)
二疋の大きな白い鳥が
鋭く悲しく啼きかはしながら
しめった朝の日光を飛んでゐる
それはわたくしのいもうとだ
死んだわたくしのいもうとだ
兄が来たのであんなにかなしく啼いてゐる
  (それは一応はまちがひだけれども
   まったくまちがひとは言はれない)
あんなにかなしく啼きながら
朝のひかりをとんでゐる
  (あさの日光ではなくて
   熟してつかれたひるすぎらしい)
けれどもそれは夜どほしあるいてきたための
vagueな銀の錯覚なので
   ちゃんと今朝あのひしげて融けた金の液体が
   青い夢の北上山地からのぼったのをわたくしは見た
どうしてそれらの鳥は二羽
そんなにかなしくきこえるか
それはじぶんにすくふちからをうしなったとき
わたくしのいもうとをもうしなった
そのかなしみによるのだが
   (ゆうべは柏ばやあしの月あかりのなか
    けさはすずらんの花のむらがりのなかで
    なんべんわたくしはその名を呼び
    また誰ともわからない聲が
    人のない野原のはてからこたへてきて
    わたくしを嘲笑したことか)
そのかなしみによるのだが
まだほんたうにあの聲もかなしいのだ
いま鳥は二羽、かゞやいて白くひるがへり
むかふの湿地、青い芦のなかに降りる
降りやうとしてまたのぼる
  (日本武尊の新しい御陵の前に
   おきさきたちがうちふして嘆き
   そこからたまたま千鳥が飛べば
   それを尊のみたまとおもひ
   芦に足をも傷つけながら
   海辺をしたって行かれたのだ)
清原がわらって立ってゐる
 (日に灼けて光ってゐるほんたうの農村のこども
  その菩薩ふうのあたまの容かたちはガンダーラから来た
水が光る きれいな銀の水だ
《さああすこに水があるよ
 口をすゝいでさっぱりしてから往かう
 こんなにきれいな野はらだから》

風林(宮沢賢治の詩)

  (かしはのなかには烏の巣がない
   あんまりがさがさ鳴るためだ
ここは艸があんまり粗あらく
とほいそらから空気をすひ
あもいきり倒れるにてきしない
そこに水いろによこたはり
一列生徒らがやすんでいる
  (かげはよると亞鉛とから合成される)
それをうしろに
わたくしはこの草にからだを投げる
月はいましだいに銀のアトムをうしなひ
かしははせなかをくろくかがめる
柳澤やなぎさわの杉はなつかしくコロイドよりも
ぼうずの沼森のむかふには
騎兵聯隊の灯も澱んでいる
《ああおらはあど死んでもい》
《おらも死んでもい》
  (それはしょんぼりたってゐる宮澤か
   さうでなければ小田島國友
   向ふの柏木立のうしろの闇が
   きらきらっといま顫えたのは
   Egmont Overture にちがひない
   たれがそんなことを云ったかは
   わたくしはむしろかんがへないでいい)
《傅さん しゃつつ何枚、三枚着たの
せいの高くひとのいい佐藤傅四郎は
月光の反照のにぶいたそがれのなかに
しゃつのぼたんをはめながら
きっと口をまげてわらってゐる
降ってくるものはよるの微塵や風のかけら
よこに鉛の針になってながれるものは月光のにぶ
《ほぉ おら……》
言ひかけてなぜ堀田はやめるのか
おしまひの聲もさびしく反響してゐるし
さういふことはいへばいい
  (言はないなら手帳へ書くのだ)
とし子とし子
野原へ来れば
また風の中に立てば
きっとおまへをおもひだす
おまへはその巨きな木星のうへに居るのか
鋼青壮麗のそらのむかふ
 (ああけれどもそのどこかも知れない空間で
  光の紐やオーケストラがほんたうにあるのか
  …………此処あ日ひあ永くて
      一日のうちの何時だがもわがらないで……
  ただひときれのおまへからの通信が
  いつか汽車のなかでわたくしにとどいただけだ
とし子 わたくしは高く呼んでみやうか
 《手凍かげえだ》
 《手凍えだ?
  俊夫ゆぐ凍えるな
  こないだもボダンおれさ掛げらせだぢゃい》
俊夫といふのはどっちだらう 川村だらうか
あの青ざめた喜劇の天才「植物医師」の一役者
わたくしははね起きなければならない
 《おゝ 俊夫てどっちの俊夫》
 《川村》
やっぱりさうだ
月光は柏のむれをうきたたせ
かしははいちめんさらさらと鳴る

松の針(宮沢賢治の詩)

  さっきのみぞれをとってきた
  あのきれいな松のえだだよ
おお おまへはまるでとびつくやうに
そのみどりの葉にあつい頬をあてる
そんな植物性の青い針のなかに
はげしく頬を刺させることは
むさぼるやうにさへすることは
どんなにわたくしたちをおどろかすことか
そんなにまでもおまへは林へ行きたかったのだ
おまへがあんなにねつに燃され
あせやいたみでもだえてゐるとき
わたくしは日のてるとこでたのしくはたらいたり
ほかのひとのことをかんがへながら森をあるいてゐた
   《ああいい さっぱりした
    まるで林のながさ来たよだ》
鳥のやうに栗鼠のやうに
おまへは林をしたってゐた
どんなにわたくしがうらやましかったらう
ああけふのうちにとほくへさらうとするいもうとよ
ほんたうにおまへはひとりでいかうとするか
わたくしにいっしょに行けとたのんでくれ
泣いてわたくしにさう言ってくれ
  おまへの頬の けれども
  なんといふけふのうつくしさよ
  わたくしは緑のかやのうへのも
  この新鮮な松のえだをおかう
  いまに雫もおちるだらうし
  そら
  さわやかな
  terpentineの匂もするだらう