出葉の調色版@ラクイラ愛好会

出葉(てには)が震災のことや防災のことについていろいろ書くだけのブログ。震災記事書き起こし: http://te2ha.blog.jp/

無声慟哭(宮沢賢治の詩)

こんなにみんなにみまもられながら
おまへはまだここでくるしまなければならないか
ああ巨きな信のちからからことさらにはなれ
また純粋やちいさな徳性のかずをうしなひ
わたくしが青ぐらい修羅をあるいてゐるとき
おまへはじぶんにさだめられたみちを
ひとりさびしく往かうとするか
信仰を一つにするたったひとりのみちづれのわたくしが
あかるくつめたい精進のみちからかなしくつかれてゐて
毒草や蛍光菌のくらい野原をただよふとき
おまへはひとりどこへ行かうとするのだ
  (おら、おかないふしてらべ)
何といふあきらめたやうな悲痛なわらひやうをしながら
またわたくしのどんなちいさな表情も
けっして見遁さないやうにしながら
おまへはけなげに母に訊きくのだ
  (うんにゃ ずゐぶん立派だぢゃい
   けふはほんとに立派だぢゃい)
ほんたうにさうだ
髪だっていっさうくろいし
まるでこどもの苹果の頬だ
どうかきれいな頬をして
あたらしく天にうまれてくれ
  (それでもからだがくさえがべ?)
  (うんにゃ いっかう)
ほんたうにそんなことはない
かへってここはなつののはらの
ちいさな白い花の匂でいっぱいだから
ただわたくしはそれをいま言へないのだ
   (わたくしは修羅をあるいてゐるのだから)
わたくしのかなしさうな眼をしてゐるのは
わたくしのふたつのこころをみつめてゐるためだ
ああそんなに
かなしく眼をそらしてはいけない

 

永訣の朝(宮沢賢治の詩)

けふのうちに
とほくへいってしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
うすあかくいっさう陰惨な雲から
みぞれはびちょびちょふってくる
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
青い蓴菜のもやうのついた
これらふたつのかけた陶椀に
おまへがたべるあめゆきをとらうとして
わたくしはまがったてっぽうだまのやうに
このくらいみぞれのなかに飛びだした
   (あめゆじゅとてちてけんじゃ)
蒼鉛いろの暗い雲から
みぞれはびちょびちょ沈んでくる
ああとし子
死ぬといふいまごろになって
わたくしをいっしゃうあかるくするために
こんなさっぱりした雪のひとわんを
おまへはわたくしにたのんだのだ
ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
わたくしもまっすぐにすすんでいくから
   (あめゆじゅとてちてけんじゃ)
はげしいはげしい熱やあえぎのあひだから
おまへはわたくしにたのんだのだ
銀河や太陽、気圏などとよばれたせかいの
そらからおちた雪のさいごのひとわんを……
…ふたきれのみかげせきざいに
みぞれはさびしくたまってゐる
わたくしはそのうへにあぶなくたち
雪と水とのまっしろな二相系にさうけいをたもち
すきとほるつめたい雫にみちた
このつややかな松のえだから
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをもらっていかう
わたしたちがいっしょにそだってきたあひだ
みなれたちゃわんのこの藍のもやうにも
もうけふおまへはわかれてしまふ
(Ora Orade Shitori egumo)
ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ
あああのとざされた病室の
くらいびゃうぶやかやのなかに
やさしくあをじろく燃えてゐる
わたくしのけなげないもうとよ
この雪はどこをえらばうにも
あんまりどこもまっしろなのだ
あんなおそろしいみだれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ
   (うまれでくるたて
    こんどはこたにわりやのごとばかりで
    くるしまなあよにうまれてくる)
おまへがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが天上のアイスクリームになって
おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに
わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ

「観光客が来ることが私の幸せ」熊本地震を被災したガイドの声

私は先日、熊本地震を被災したガイドである知人に会う機会があった。

彼は生まれも育ちも熊本県で、ふるさとに強い愛着を持っている。

 

先日1年ぶりに彼と再開した時、彼はこう言っていた。

 

" 自分たちが被災し、改めてボランティアのありがたさを知った。本当にボランティアの方には感謝しかない。また、自衛隊や消防などにも本当に感謝しかない。本当にありがとう。

 

私は熊本でずっとガイドをしていたが、地震で観光客が途絶え、無職になりバイトをはじめた。バイトの大変さがよくわかった。本当に大変で、一日がすごく長く感じた。

ライフスタイルが変わったのは辛い出来事だった。ガイドで観光客の笑い顔を見るのは私の生きがいだったから。

 

観光客が来た時、嬉しくて涙が出た。少しずつだが、観光客が戻りつつある。それが本当に本当に嬉しくて、幸せを再び感じた。

 

熊本にお金を落としてくれなくても、私達は嬉しい。熊本に来てくれるだけで、私は嬉しい。あなたの姿を見せてくれることが、熊本に笑顔が生まれることが、私にとって本当に嬉しい。

 

観光客が来ることが、ガイドである私の幸せで、本望だ。

そして、できることなら、本当に、皆に熊本の今の姿を見てほしい。見に来てほしい。"

安田純平さんの拘束は、「自己責任」なんかではない―何のためにジャーナリストは戦災地に入るのか

フリージャーナリストの安田純平さんのことについて、「自己責任」といった論調は絶対に間違っていると思う。

私が「出葉@ラクイラ愛好会」を名乗りイタリアの(ラクイラに限らず)被災地の「いま」を発信できるのは、イタリアからの報道があり、イタリア人がフェイスブックツイッターなどで、被災地の「いま」を発信しているからだ。

彼らの声がなかったら、報道がなかったら、私達はイタリアの被災地が「復興した」と思い込んでしまうし、私達は震災を忘れてしまう。

それと同じことは、戦災地からの報道にもあてはまる。

 

被災地の「いま」を知り、被災者の感情を知るには、被災者の声や、被災地からの報道がどうしても必要だ。

それにより、例えばモリー地震の被災者が16年たった今でも地震の恐怖を強く感じていることなどを、私達は知ることができる。

知ることができれば、被災地のことを想像し、動くことができる。

 

被災地に対して動くとは、例えば募金をするとか、パスタを食べに行くとかだ。

それにしても募金先がわからなければ募金すらできない。パスタの支援情報がわからなければ、パスタを食べに行くこともできない。

 

私達は動くときに、行動するときに、情報を必要とする。

 

戦災地からの情報をくれるのが、例えば亡くなった後藤さんや、今回解放された安田さんだ。

彼らからの報道がなければ、私達は戦災地の「いま」を知ることはできず、戦災地の人々のことをより深く考えたり、戦災地の人のために動くことはできない。

 

そして、その情報が私達に気づかせることは、私達は同じ人間であるということ、私達の抱える感情は驚くほど同じであること、そして私達は対話を通じて分かり合うことができるということだ。

欧州の深刻な移民問題と、外国人技能実習制度―ナイジェリアとイタリアから―

ある日、突然ナイジェリア人がTwitterで私をフォローして、ひととおり互いの自己紹介などをしたあと、こう言った。

「私はナイジェリアに住んでいるが、近くに食べ物や飲み物を買える場所もお金もなく、私は遠い場所にある川まで水を汲みに行かなければならない。じゃあね。また後で。」

それから、私が日本に住んでいることを知ると、「日本は安全だし、豊かだし、とてもいい場所だよね。私も日本に行きたいが、お金がない。欧州でも日本でもどこでもよいが、とにかくここから逃げられるお金がない。」

本日(2018/10/28)の朝日新聞によると、やはり欧州に憧れる人々は多いようで、欧州に行けば幻想的に思えたような豊かな暮らしができると思っているようであった。(そして、それは本当だ。)

なぜその人がTwitterができるかというと、欧州に行くための情報を収集しているのだという。ネット環境がある貧困層はアフリカに多いのだ。

 

彼が日本に来たいというので、私は日本に来る費用さえ工面できたら(これはgofundmeなどでどうにかなると伝えた)、運が良ければ「外国人技能実習制度」というものがあると言った。もちろん、それがどれだけ酷いものか―「現代の奴隷制」と揶揄されていても―をひととおり語った上で、

福島第一原子力発電所廃炉作業?過酷な肉体労働?どんな仕事でもします。」

そう彼は言った―外国人技能実習生がどんなに過酷な環境に置かれていようと、彼の暮らしはそれより酷いのだ。

 

愕然とした。

外国人技能実習生の高い過労死の割合、自殺、何も知らされずフクイチの廃炉作業を強制され…それに救いを求めるほど、彼の置かれた環境は酷いのだ。

 

イタリアにおいて、移民に賛成している人と反対している人の意見を紹介する。

双方ともラクイラに住んでいる。

 

賛成派の友人から言われたのは、「人道的な支援」という言葉だった。

飢えて亡くなるアフリカのこどもたちや、欧州移住を目指して亡くなった夢を持った移民達のことを聞くと、とても胸が苦しくなるという。

「彼らが私達の街に来ればよいのに」と友人は言っていた。その街がまだ地震から復興していないにもかかわらず。

 

反対派の意見としては、「イタリア人を優先すべき」とのことだった。

友人は震災後失職中だという。無能なイタリア政府が被災者に何もできていないのに、よその国の人を救う必要など、ないとは言わないが、薄いということだった。

 

 

中学校の校舎4階から女子生徒が飛び降り 教師が受け止め命に別状なし 岡山市

中学校の校舎4階から女子生徒が飛び降り 教師が受け止め命に別状なし 岡山市
10/23(火) 10:59配信 


 23日朝、岡山市の中学校の4階から女子生徒が飛び降りました。飛び降りた生徒とそれを受け止めた教師がけがをしましたが、命に別状はないということです。

 23日午前8時すぎ、岡山市北区の中学校で「生徒が飛び降りそうだ」と警察に通報がありました。

 消防が駆けつけた8時20分ごろに2年生の女子生徒が6階建ての校舎の4階から飛び降りました。

 女性教師が1階で受け止めましたが、飛び降りた生徒とともにけがをして病院に運ばれました。2人とも命に別状はないということです。

 また、消防によりますと、現場を見たり話を聞いたりした生徒10人ほどが体調不良を訴え、そのうち数人が病院に搬送されたということです。

 現場の中学校は岡山市の中心部にあり、救急車やはしご車など10台以上が駆けつけ、一時騒然となりました。

 

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181023-00010000-ksbv-l33

 

 

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【飞扑侠!男子突然坠楼,20岁消防员用身体当垫背接下男子,全身多处骨折 】10月13日,广东中山小榄镇,一男子突然坠楼,此时救生气垫尚未铺开。在这一瞬间,消防员张昊明毫不犹豫飞扑向坠落点,用自己的身体作垫背,成功救下男子,该男子并无生命危险。据了解,张昊明去年9月份入伍,刚满20岁,目前多处骨折,需接受手术治疗。

 

https://m.weibo.cn/detail/4295060998390677

 

【20歳の消防士が飛び降りようとした男性を受け止め、消防士は全身を骨折】

 

 10月13日、広東省で、男性が突然飛び降りました。この時点では、救助のためのクッションはまだ広がっていません。

 この瞬間では、消防士の***さんが躊躇しないで、彼の体を身代わりとして、飛び降りようとした男性を救出しました。男性の容体は、危険ではありません。

消防士の***さんは昨年9月に消防団に入隊し、ちょうど20歳になったところです。

現在複数の骨折があり、手術が必要であることが理解されています。

L'Aquila bella me [testo in italiano/English/日本語]

l'aquila bella mè

= L'Aquila bella mia

= my beautiful L'Aquila

= 私の美しいラクイラ

 

te vojio revete

= ti voglio rivedere

= I want to see you again

= またあなたに会いたい

 

 

Italiano:

 

Mangia del grano che vuoi,

Questo treno mi porta così tanto

È passato molto tempo e piove

Questo cuore diventa più Aquilani.

 

Mi colpisce, mi sta dicendo, lo conosco ravvicinà.

l'aquila bella mè ...

l'aquila bella mè ...

 

Mi hai guardato e sono nato

fai esplodere i miei sci e cresci

l'aquila bella mè ...

Voglio vederti di nuovo

 

Le squadre hanno marciato a Sant'Elia,

mucchi e corna e San Giuliano ...

Sono core e fatto di nostalgia

e mi fa venire fuori.

 

Mi sembra di dire a me stesso, penso che sia deliranti.

l'aquila bella mè ...

 

Quando la volpe stava bruciando,

Mi sembra davvero di essere così,

mangiare Revenne quando era sordo

la vecchiarella 'e mamma rabbracà.

 

È meglio, e sempre quello,

Ti ho visto come un uomo feroce.

l'aquila bella mè ...

 

 

English:

 

Eat the wheat if you want,

This train brings me so much

It's been a long time and it's raining

This heart becomes more Aquilani (who live in L'Aquila).

 

It hits me, it's telling me, I feel my beloved city more closer.

the my beautiful city ...

the my beautiful L'Aquila ...

You looked at me and I was born here

blow up us and grow up

the beautiful city of L'Aquila ...

I want to see you again


The teams marched in Sant'Elia,

Piles and horns and San Giuliano ...

They are core of this city which made of nostalgia

and it makes me come out

 

I seem to say to myself, I think it's delusional.

the beautiful my beloved city ...

 

When the fox was burning,

I really think I'm like that,

to eat Revenne when he was deaf

the embrace of old woman and mother.

It's better, and always that,

I saw you as a fierce man.

the beautiful L'Aquila ...

 

日本語:

 

あなたが望むだけ小麦を食べる

この列車は私にそんなにもたらす

それは長い時間があり、雨が降っています

この心はより強くaquilani(※ラクイラに住む人々)になります。

 

私の心を映す、私に呼びかけている、私は愛する街の存在を、より近くに感じる。

 

私の美しいラクイラ...

美しいラクイラ...

 

あなたは私を見て、私はここで生まれました

私のスキーを爆破して育つ

美しいラクイラ...

もう一度会いたい

 

チームはSant'Eliaで行進し、

パイルと角とSan Giuliano...

それはこの街の中心/核であり、ノスタルジアで作られています

それは私を出させます。

 

私は自分自身に言っているようだ、私はそれが美しい想像だと思う。

美しいラクイラ...

 

キツネが燃えていたとき、

私は本当に私がそうだと思う、

彼の耳が聞こえなくなったときにRevenneを食べる

年配の女性の母親のような抱擁。

 

それはより良いことです、そしていつも、それは、

私はあなたを激しい男として見た。

美しいラクイラ...

 

 

訳してみたが、日本語に違和感しかない!