出葉の調色版@ラクイラ愛好会

出葉(てには)が震災のことや防災のことについていろいろ書くだけのブログ。震災記事書き起こし: http://te2ha.blog.jp/

イタリアと日本の「地震追悼行事」の違い

ラクイラ在住の友人と話していて、彼女が驚いていたことがあります。

「日本人はたいまつを持って街を一晩中歩いたりしないの?日本もやればいいのに!」

ラクイラは地震の犠牲者をどう追悼し、被災者は地震とどう向き合ってきたか - 出葉の調色版@ラクイラ愛好会

ここに記した通り、イタリアでは(ラクイラに限らずアマトリーチェでも行われています)一晩中人々がたいまつを持って街を歩くという文化があります。

彼女は私に聞きました。

「日本ではそのようなことはしないの?」

Domà testo

Domà so cazzi!

Tra Pettino e Camarda passa la faglia di tutti
coju radon de jorno ji massera non dormo.
addo vajò a finì doma'.
do vajo?

tra na tenda e ju mare mò tengo casa a pagliare
na coppa de piastra messa là a dondolare
nnanzi a 'na strada infinita
...è na statale

dei bai dei
temè
old mi, ma che sta a dì?
dice che te steo a dì stamme a sentì

ma domà, domà me tengo rizzà
ju tempo passa e ce deomo da fa
se non ce dice ice sfiga
fa na botta da tre
l'era ittu giuliani
issu ice cuscì

dopo sei mesi de tenda
ji non me reconosco,
abituato aju sebac mo' va bona ogni post
ogni scossa che sinti chiami tutti ji parenti,
oh ma' la sci sentita, ji non so sentito gnienti
la sci sentita era 4 pe mì
recomenza domà

da coppito a san sisto era tutto n'arrosto
castrato o cottora come a ferragosto
addò magnerò domà
do magnerò... cazzo ne so
tooooorooooh tooooorrooh tooorooohh

dove berrò domani
coju centro invaso daji topi e daji cani,
se vedemo domani a piazza palazzo
colla callarella 'n mani
tra ji monti e ju mare torneremo a nuotare
e ju castello non me lo fa pagare
ju sfollato ju vidi
domà
non sa che è na pruà
auà cullù è aquilaaaano

ju so dell'aquila e manco ju meteo sapea addò stea
mo lo sa pure obama, lo sa l'unione europea
lo sanno quiji che pe tempu se so fatti ji conti
e mentre contavamo i morti issi conteano i sordi

ma almeno casa te la tè?
sci ma è E maè e ti?
è B
e sci
e no
e mò
e bohnon me la hanno quella de berluscò
madò, stengo ancora sulla costa, ma vabbuò...

o moh ecco sinti quello che te ice sta gente
coju gran sassu a nu passu ce brilla ju sole
e pure a noiatri ce se scalla ju core
quatrani e quatrane
nu non semop cuscì soli
so chiu' ji volontari che nu
non semo cusci soli
ma sci visti gli clown quanti so'
mo semo quasci soli
amme na mano a fa sa casetta
nu semo cusci soli
c'hanno messo in 8 entro na stanzetta
sulla stessa piastra

99 rotonde devi attraversare
se te gira la coccia, non sai più dove andare
e pensà che voleo ji a coppito ddu'
me retrovo a pagliare
ngulo fra che sola!!!

doma' sta già ecco
doma' sta già ecco
ma giuliani, giuliani, giuliani lo sa
lo sa che na scossa la po refà
e di nuovo pescò dice che era da tre
l'era ittu giuliani.

ma sul sito ufficiale vai a verificare
co na botta deeee... fortuna la puoi azzeccare
ma che cazzo de vita co ste sleppe da tre
recomenza domaaaaaa'

aju boss domà, domà, domà già lo saccio
retrovo ji amici co na tazza e n'abbraccio
e di nuovo ju centro è la vita pe me
recomenza.... domaaaaaaaaaa'
doma' so cazzi!

ラクイラは地震の犠牲者をどう追悼し、被災者は地震とどう向き合ってきたか

4月6日(地震が起きた日)のラクイラの様子(Facebookなどより画像は許可を得て転載)
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人々が一晩中たいまつをもって街を歩き、犠牲者を追悼する様子。


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この写真にはありませんが、中には亡くなった大事な人の遺影を持った人もいます。


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なおラクイラ唯一の総合大学であるラクイラ大学は、4月6日を休みとしています(大学のパンフレットより)

 

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この時期(3月末)になるとFacebookなどで見かける画像。

ラクイラ方言で「私は忘れない」という意味。


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"ラクイラと、そこを去った人々のために"

と題し、人々が一晩中ラクイラ市内を歩きます。

 

さらに、ラクイラ市長は「市を喪に服す条例」をことしから制定しました。

6 aprile 2019: disposto il lutto cittadino

 

さらに、この人たちはイタリア中から集まるというから驚きです。

L’Aquila, dieci anni dopo: la notte del dolore e del ricordo. In migliaia alla fiaccolata della memoria. Presente anche il premier Conte

 

その他の行事(イタリア語)

L'Aquila, decennale terremoto: le iniziative delle associazioni cittadine - Il Capoluogo

 

その他参考になるブログなど

おいしいイタリア Tavola Giappone:L'Aquila, due anni dopo del terremoto ラクイラの地震記念行事 - livedoor Blog(ブログ)

2009年の震災以来、毎年4月5日の夜、ラクイラはfiaccolataという大きな... - アブルッツォに行こう Andiamo in Abruzzo | Facebook

動画

Dieci anni dopo. Fiaccole di speranza - YouTube

オンナ村(ラクイラのフラツィオーネ)の現在

Onna ricorda. Onna, il 6 aprile di 10... - Quando la terra trema | Facebook

イタリア中部地震クラウドファンディングについて

【現在進行中】

polca.jp

 

【*°…地震大国日本から イタリア中部大震災の復興支援の為に…*°】 
閲覧ありがとうございます* 私達は、イタリアのラクイラに渡り、イタリア中部大震災の復興支援を目指している者です。 世界有数の地震大国 日本 から来た者達として、アート(音楽・写真・絵・詩・芸術に関する様々なもの)、そして防災対策に関する知識や、生き延びる知恵を与え、泣いている人を一人でも多く笑顔にしよう!という企画です。 
ハンドルネーム・出葉(てには)は、イタリアの学校に進学の為に現在猛勉強中。卒業した後、復興事業の展開等を計画。 
ハンドルネーム・明祈(あき)は、主に音楽活動、写真をメインに絵や詩を創り、ライブハウスや路上ライブ、バーチャルYouTuberTwitter(ツイキャス)にて活動中。

あなたの支援が、誰かの涙を笑顔にするのです。 皆さん、どうかよろしくお願いします……*°

支援、拡散よろしくお願いします!

 

polca.jp

【海外での芸術活動の為にご協力をお願い申し上げます!】 閲覧ありがとうございます*°私は音楽活動をはじめ、写真、絵、詩など、アーティストとして活動している者です。 海外――イタリアは中部、ラクイラ。 数年前に起きた大震災による被害が未だにその大きな爪痕を残し、たくさんの人々が涙を流し、苦しみ、絶望しているのが現状です。 私は私の力を信じ、彼らにほんの少しだけでも希望を見出し笑顔になってほしくて、ただただ純粋に、自分の為、そしてそれが彼らの笑顔となる事を願っています。 皆様「今でしょ!」という言葉は知っていますよね? 今がその時です。私達は現在、イタリア語の勉強と芸術活動に、必死に励んでおります。 私が使っている画像は全て私が創ったアートです。 音楽はこの場で伝えられないものの、私が撮った写真 アートが少しでも良いなと思って頂けたら、皆の笑顔の為に どうかご協力お願い致します…!

【イタリア中部地震復興支援】polcaにて友人とクラウドファンディングを行っています。

2016年8月24日に発生したイタリア中部地震により、299人の方の命が失われ、いまなお5万人の方々が避難生活をしています。

震災を苦にして自殺された方は15人で、そのうち7名は震災から1年半以降の自殺者です。

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被災地の復興は、進んでいません。

matome.naver.jp

 

そこで、友人と私は、クラウドファンディングを開始いたしました。彼は私と同じく精神疾患を持っています。

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彼は音楽に才能があり、アーティスト活動をイタリア中部・ラクイラにて2020年から行う予定となっています。

私も同じ時期にラクイラに渡り、「防災の必要性」を伝えるための活動を行います。

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クラウドファンディングに関して、以下全文を引用します。

【*°…地震大国日本から イタリア中部大震災の復興支援の為に…*°】
閲覧ありがとうございます* 私達は、イタリアのラクイラに渡り、イタリア中部大震災の復興支援を目指している者です。 世界有数の地震大国 日本 から来た者達として、アート(音楽・写真・絵・詩・芸術に関する様々なもの)、そして防災対策に関する知識や、生き延びる知恵を与え、泣いている人を一人でも多く笑顔にしよう!という企画です。
ハンドルネーム・出葉(てには)は、イタリアの学校に進学の為に現在猛勉強中。卒業した後、復興事業の展開等を計画。
ハンドルネーム・明祈(あき)は、主に音楽活動、写真をメインに絵や詩を創り、ライブハウスや路上ライブ、バーチャルYouTuberTwitter(ツイキャス)にて活動中。

あなたの支援が、誰かの涙を笑顔にするのです。 皆さん、どうかよろしくお願いします……*°

polca.jp

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被災者にかける「頑張れ」に代わる言葉を、私はずっと探していた。

被災者に「頑張れ(Forza)」に代わる言葉をかけるために、自分の言葉で被災地を励ますために学び始めたイタリア語だったが、学習を始めて1年が経っても、いまだにしっくりくる言葉が見つからない。

「ひとりじゃない(Non sei solo)」とか、「側にいるよ(Siamo con voi)」とかいう言葉があるのも知った。 ただ、私は日本にいる限り友人の震える肩を抱くこともできないし、友人が泣いていても側にいることもできない。

結論として、すべて綺麗事に聞こえてしまうのではないだろうか。探し続けても、調べ続けても、あの地震の映像と、進まない復興を目にすると、どんな言葉も非力な気がする。

ただ、この度の北海道地震で、この問に関する答えが見つかったような気がする。 あくまで、私的な中間報告にすぎないが、聞いてほしい。

 

私にはラクイラ(イタリア中部)にたくさんの友人がいる。ラクイラは2009年の地震から未だに復興していない。 友人たちは仕事を失ったり、愛する人を失ったり、たくさんつらい思いをしてきた。

彼らは、日本で台風や地震などがあると、欠かさず連絡をくれる。 「北海道で地震があったらしいけど、大丈夫!?」と。 そして、私が無事だと言うと、「無事でよかった!」と連絡をくれる。 些細なことかもしれないが、私は本当に救われた。

そしてある日、私の一番の親友(彼女もラクイラに住んでいる)がこのように言ってくれた。 「私達は遠く離れているけれど、私たちの心は側にあるよ。素敵な友達ができてとても嬉しい。」 これを聞いたとき、やはりどんなに距離が離れていても、心は繋がっていられるのかと思った。

彼らが「海外であった自然災害などを、他人事にしない」というそのことに、私は救われた。 私自身日本での震災(東日本大震災)の被災者だが、その際は彼らとまだ出会っていなかったため、誰一人として連絡をくれなかったし、私は深い孤独感を覚えていた。

「頑張れ(Forza)」とか、「元気を出して(Coraggio)」という言葉は、いまは頑張っていないのではないかというニュアンスを与えてしまう。 「ひとりじゃないよ(Non sei solo)」とか「私達が側にいるよ(Siamo con voi)」という言葉も、実際にそうできない私達には非力なものに思えてしまう。

だが、どんな言葉でも方法でもいい。「私達はひとりじゃない。誰かが側にいる。」ということをどうにかして伝えることができたなら、被災者の心は少しでも癒えるのではないか? 決して一回の言葉だけでは、どんな素敵な言葉をかけても伝わりにくい。

 

何かあるたびに、私達は寄り添い合い、悲しい出来事を共有しあった。 彼らにとって私はただのひとりの友人にすぎないだろう。ただ、「私達は確かに繋がっている」という思いが確信に変われば、私達はより強くなれるし、辛い出来事から立ち直りやすくなると思う。

 

また、万能な言葉もなければ、ひとつの言葉ですべてを癒せるような言葉もない。 だが、言葉は決して非力なものではない、どんなに被災地が悲惨な状況にあっても。 だから私達は何度も何度も、言葉を変え方法を変えながら、伝えていく必要がある: 「君たちはひとりじゃない、私達が側にいる」

 

東日本大震災の際に、知り合いの看護師が感じたことだ。 彼女は絶え間なく運ばれてくる悲惨な遺体を目の前にし、惨事ストレスを抱えていた。 だが、地震後一週間が経ったある日、阪神淡路大震災を経験した看護師から絵葉書が届いた。

絵葉書には、「頑張って」とか、「元気を出して」といったことは何一つ書かれていなかった。 ただ綺麗なお花の絵が書かれていて、言葉はなかった。

その際、彼女はこのように感じたという: 「私達は被災地にいて、灰色と茶色の景色に慣れ始めていた。だが、この絵葉書は世界には様々な色があったと、私に思い出させてくれた。」

私が思うに、惨事ストレスを抱えた被災者に必要なのは、無神経で心の傷を蒸し返すような執拗なインタビューではなく、何もかも失ったという心の喪失感を埋めるための、かすかな「癒やし」なのだと思う。

「頑張れ」に代わる言葉はあるが、万能な言葉はない。 私達は神様ではないから、一瞬で人を癒せる能力もない。 私達が被災者に伝えていくべきことは、「決してひとりじゃない、私達が側にいる」ということだが、それを伝えるのは難しい。 一回の言葉だけで終わらせては、どんな言葉にも意味はない。

 

あるべき被災者支援のかたちとは、何だろう。 "誰かの存在が必要に感じる人生のあるいっときには、手を繋いで、こう言う" "私はここにいるよ!一緒ならきっとできるよ"

 

イタリア語には、"siamo in due"(私達はふたりで一緒の状況にある)という言葉があることを最近知った。

それはうつ病などの精神疾患を持っている人たちの自助グループでよく使われる言葉だが、彼らが最も恐れているのは「見放されること、孤独」であり、それは地震の被災者にも共通している。

例えばある人が"私は助けが必要だ(ho bisogno di un aiuto)"とその自助グループに書き込んだとする。もしくは、Mi sento molto solo(私は深い孤独を感じている)と書き込んだとする。

そうすると、別の人が"siamo in due(私も)"と返す。 更に別の人が"siamo in tre"(tre=3)と返す。 Mi sento solo(孤独を感じる)がSiamo in due(私も同じだよ)に変わるとき、人は強くなれるのだろう。

そして、due (2), tre (3)....と連帯する人の数が増えれば増えるほど、最初にMi sento soloと書き込んだ人の心は温められていくだろう、ちょうど人と人とが手をつないだときに生まれる温もりのように。