メッシーナ地震から110年(2018/12/28)
12月28日の午後、レッジョ・ディ・カラブリアから北に約50キロメートル離れたニコテラから、ようやく10時間前にメッシーナ海峡で起きたことを政府および世界の他の地域に電信で送信することが可能になります。
posted at 17:36:07
マグニチュード7.6の恐ろしい地震の下で6万人以上の死を記録したVal di Noto。それを上回る、近世最悪の地震でした。
地震の後も孤児のままでいる2,000人以上の子どもたちがいます。
posted at 17:35:29
この地震の死傷者に関するデータは明らかにされていません。
推計値は、2つの都市の総人口の半分以上の9万から12万人の犠牲者であろうと言われ、「1693年の地震(※ヴァル・ディ・ノート大地震のこと)」の犠牲者の数を超えています。
posted at 17:34:50
マグニチュードは7.1であり、メルカリ震度階級のXIに等しい。レッジョ・ディ・カラブリアとメッシーナの2つの都市は崩壊しました。
生存者の何人かはガス爆発のために死に、他の人々はビーチから避難しようとしますが、高さ10メートル以上の津波に圧倒されます。
posted at 17:32:39
午前5時21分。
恐ろしい轟音が街を揺さぶります。
メッシーナ海峡を越えて、同じ鈍くて冷たい音がレッジョ・ディ・カラブリアを目覚めさせました。
posted at 17:31:12
1908年12月27日日曜日、メッシーナ市ではクリスマスの音楽がまだ流れていました。
posted at 17:30:18
1908年12月28日月曜日の5時21分。レッジョ・ディ・カラブリアとメッシーナが決して忘れないだろう時間とその日付。
その年の終わりにその日に海の2つの都市を襲った地震は、20世紀の最も壊滅的な地震のうちの1つでした。
参考
イタリア・メッシーナ地震(1908年12月28日) | 災害カレンダー - Yahoo!天気・災害