「ラクイラは君を待っている」ラクイラを愛するすべての人へ、私が言われた優しい言葉を紹介しよう
この記事はラクイラどうこうよりも、私が触れたaquilani(ラクイラ在住者)の優しさを、さらに言えばイタリア人の優しさについての記事です。
知り合って2年になるある友人は、「もし君がアブルッツォやラクイラに来るときには、ぜひ私に教えてほしい。」と連絡をくれた。
「なぜかって?地震の被災地の現状を見てほしいから。私達の愛する街がどんな状況に置かれているか、ぜひ君に見てほしい。」と言っていた。
また別の友人は、「私がラクイラに移住しようと強く思っている」と伝えると、最初はなぜ日本人の私がラクイラを移住先に選ぶのか疑問そうだったが、「ラクイラは君を待っている。私達の素敵な街に君が来ることを私は心から歓迎する」と言ってくれた。
さらに別の友人は、「君はラクイラ方言を学んでいるの?本当にそれは難しいものだよね。もしよかったら私がいつでも教えるよ。」と言ってくれた。
別の友人は、いつも素敵な写真を贈ってくれる。
別の友人は、日本で地震があるといつも心配の連絡をくれる。日本人からの連絡よりも早いくらいだ。
満を持して言うが、私がラクイラの人達と話していて、そしてイタリア人と話していて、人種差別を受けたことは一度もない。
それどころか、ここには書ききれないほど、本当に優しくしてくれる。たとえ相手が外国人であっても。