出葉の調色版@ラクイラ愛好会

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イタリアには「地震の映像が流れます」という警告はない―津波の映像のトリガー警告に関して―

一般的に、欧米では「地震などの報道を、そっくりそのまま報道する」といわれる。

それはつまり、倒壊した建物や、生存者を救出した瞬間や、その他言葉にならないほどひどい映像を、「そっくりそのまま」報道するということである。

日本では、ある程度の規制(BPOなどによるものなのだろうか)があり、とても悲惨な画像を流す前には「ここからは悲惨な映像が流れます」とか、「津波の映像が流れます」といった文章、つまり「トリガー警告」が発せられる。

イタリアには全く、そのような文化はない。

 

そして私はずっと、その「そっくりそのまま報道する理由」がわからずにいた。

報道を見るだけでも惨事ストレスなどによりPTSD心的外傷後ストレス障害)を発症しうるので、あまりにも悲惨な報道は自制されるべきであり、自制されている日本の報道体制は間違っていないと思っていた。

なぜ、イタリアでは地震により自殺をする方がいる(震災自殺)くらい追い込まれている人々もいる中で、「地震の悲しい映像をそのまま流すのか」ということ、それが私の疑問だった。

 

その問いへの答えにつながる有力なヒントは、偶然わかることになった。

 

アブルッツォ州ラツィオ州モリーゼ州などイタリア中部の素敵な風景を載せる」FB(フェイスブック)グループに私は参加している。

そこで、突然アマトリーチェの震災に関する画像を載せた人がいた。

投稿日時は11月24日。

でも、月命日(※震災が起きたのは2016年8月24日)だからといっていったいなぜ、この平和なグループに「トリガー警告」つまり、「これから震災の画像を載せます」といった警告もなしに、彼は画像を載せたのか?

気になったので、私は彼にメッセンジャーで聞いてみた。

 

送ったメッセージはこうだ。(※原文はイタリア語)

突然すみません。私はあのグループに入っている出葉(※ここは本名になっているが)と申します。

本日あなたが投稿した震災の画像の意図は何でしょうか?

私も、あの震災を忘れてはならないと思いますし、思い出すことは必要だと切に感じています。

ですが、このグループの会員のうち多くはイタリア中部に住んでいて、あの震災の悲しい記憶があるはずです。

なんの警告もなしに(警告とは、たとえば「震災の画像を載せます」などといったことです)あの画像を載せるのは、あの震災で心を傷つけられた人たちにとって良くないと考えています。

私は日本に住んでいますが、当時あの映像を見て本当に悲しくなりました。

そして日本には、東日本大震災などの映像を流す際、「津波の映像が流れます」という警告があり、本当に映像を見たくない人は「津波の映像が流れます」という警告を見て、テレビを切ることができます。

あなたの意見を求めます。もしよかったら返事を下さい。

 

すると、彼はこう言った。

確かに君の意見はわかる。思い出すだけで苦痛になるという人がいるのもよくわかる。第一、私がそうだからだ。

もう少し私は画像を載せることに慎重にならなければならなかったかもしれない。

ただ、私の意見を言わせてもらいたい。

私たち人間は、簡単に物事を忘れてしまう生き物だ。それがどれだけ悲劇的であっても、それがどれだけ忘れてはならない出来事であったとしても。

現に2016年8月24日のあの震災のことを誰が覚えているだろうか?

私たちは思い出さなければならない。そして、思い出すためには画像や映像のほうが手段として適している。文章だけでは悲惨さが伝わらない。

そして私たちはこのような映像に暴露されることに慣れている。事実あの震災の日も躊躇なくひどい映像が流れていた。

君の意見もわかるけれど、やはり私はあのような画像がないと「衝撃」が、「悲惨さ」が、つまり覚えていることが難しいのではないかと思う。

 

そうか。

彼は、「悲惨さ」、つまりあの地震がどれだけ恐ろしいもので、破滅的なもので、壊滅的なもので、ひどいものだったのかを言いたかったのか。

それでも、私は少し納得できずにいた。

 

アブルッツォ州ラツィオ州と言えば、あの地震(イタリア中部地震)で被害を受けた場所である。つまり、彼らの中には思い出すことさえ苦痛な人もいるはずなのだ。

現に、私がそうだ。あの震災のことを聞くと今でも私は胸が抉られるような悲しみに包まれる。

 

そこで、私はさらに尋ねた。

 

私は日本に住んでいるが、日本では必ずこのような警告がある。『これから、津波の映像が流れます』といった警告だ。

イタリアにはそのようなものがないと聞いた。

それは本当だろうか?

イタリアでは、日本よりも悲惨な映像や画像をそのまま流すとも聞いた。

それはあなたの言う通り、「悲惨さ」を伝えるためなのだろうか?「事実」を伝えるためだろうか?

あの震災で被害を受けた人は、思い出すことさえ苦痛なはずなのに、いきなり悲しい映像を見せられたら、最悪の場合、つらい記憶のフラッシュバックが起こるかもしれない。

そこについてあなたはどう思う?もしよかったら返事を下さい。

 

彼はすぐに返事をくれた。

さっきも言った通り、私達は文章だけでは忘れてしまう生き物だ。

フラッシュバックが起こるほどつらい思いをしている人は、そもそもトリガー(引き金)にかかわるものを避けるはずだ。

だから、私は皆にあの震災を思い出させるために投稿した。

 

 

なるほど、と思った。

彼は以前報道局で働いていたとも、のちに教えてくれた。

 

「事実を伝える」ことを優先するのがイタリアで、「被災者の気持ちに配慮する」ことを優先したのが日本である。

これが私が導き出した結論だ。

 

「事実を伝える」ことを優先した結果、その報道は悲劇的なものになり、日本ではその逆が起きている。

 

なるほど!

 

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イタリアと日本の地震報道のあり方 参考資料 - 出葉の調色版@ラクイラ愛好会

 

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