出葉の調色版@ラクイラ愛好会

出葉(てには)が震災のことや防災のことについていろいろ書くだけのブログ。震災記事書き起こし: http://te2ha.blog.jp/

安田純平さんの拘束は、「自己責任」なんかではない―何のためにジャーナリストは戦災地に入るのか

フリージャーナリストの安田純平さんのことについて、「自己責任」といった論調は絶対に間違っていると思う。

私が「出葉@ラクイラ愛好会」を名乗りイタリアの(ラクイラに限らず)被災地の「いま」を発信できるのは、イタリアからの報道があり、イタリア人がフェイスブックツイッターなどで、被災地の「いま」を発信しているからだ。

彼らの声がなかったら、報道がなかったら、私達はイタリアの被災地が「復興した」と思い込んでしまうし、私達は震災を忘れてしまう。

それと同じことは、戦災地からの報道にもあてはまる。

 

被災地の「いま」を知り、被災者の感情を知るには、被災者の声や、被災地からの報道がどうしても必要だ。

それにより、例えばモリー地震の被災者が16年たった今でも地震の恐怖を強く感じていることなどを、私達は知ることができる。

知ることができれば、被災地のことを想像し、動くことができる。

 

被災地に対して動くとは、例えば募金をするとか、パスタを食べに行くとかだ。

それにしても募金先がわからなければ募金すらできない。パスタの支援情報がわからなければ、パスタを食べに行くこともできない。

 

私達は動くときに、行動するときに、情報を必要とする。

 

戦災地からの情報をくれるのが、例えば亡くなった後藤さんや、今回解放された安田さんだ。

彼らからの報道がなければ、私達は戦災地の「いま」を知ることはできず、戦災地の人々のことをより深く考えたり、戦災地の人のために動くことはできない。

 

そして、その情報が私達に気づかせることは、私達は同じ人間であるということ、私達の抱える感情は驚くほど同じであること、そして私達は対話を通じて分かり合うことができるということだ。