被災地の観光と、被災地で自撮りを撮ることに関する意見
残念なことですが、阪神淡路大震災の際も同様な事例が報告されています(出典: 地震イツモノート)
そしてイタリアにおいても(観光客が)被災地で自撮りをし、市長がやめるよう諭したという事例があります。
「Mayor of Italy quake-leveled town asks ‘disaster tourists’ to stop taking selfies(イタリア中部地震(※)の被災地の市長が、被災地を観光している旅行者に「自撮りを撮らないで」と言った)」
※イタリア中部地震…2016年の地震
出典: https://www.rt.com/news/385589-italian-town-quake-selfies/amp/
また、イタリアにおいて2009年に起きた地震(ラクイラ地震)でも同様の事例があったようです。
「ここは、私たちの町の一部でした。
最近まで「日常」があった場所でした。
だから、まだ考古学的あるいは歴史的な場所のように扱うのは時期尚早です。
間違っても、写真を撮るために笑顔を浮かべる場所ではありません。
この瓦礫の下で死んだ人、そして彼らのために泣いている人がいます。」
(日本語訳は拙文)
引用元: La cosa più bella de L'Aquila è la voglia di normalità(ラクイラにおいて最も美しいことは、「日常」を取り戻そうとする願いである)
https://www.loccidentale.it/articoli/101036/la-cosa-piu-bella-de-laquila-e-la-voglia-di-normalita?amp/
以下は私の考えですが…。
いつ、どこの国であっても「被災地で自撮り(あるいはそれに類似するもの)」をするような無神経な人はいるものです。
ですが、それは非難されて当然であり、とても人間のするべきこととは思えません。(ただ、被災者の多くは「復興していない街を訪れ、その街の写真を撮る」ことは悪くは思っていないようです。(※)
そこで「笑顔を浮かべて自撮りする」ことが無礼で侮辱的だと言っているのです。
※…「彼の話では、私のようにラクイラの今を見ようとやって来る観光客は意外にも多いのだとか。
地元住民としてどのように感じるのか聞いてみたところ、「崩れた家の写真を撮られたりするのは、別に嫌な気持ちにはならない」とのこと。
嫌な気持ちになるのは、瓦礫が掃除された外観だけを見て「たいした被害じゃなかったんじゃないの?」と言われることなんだそうです。」
(http://blog.hankyu-travel.com/kaigai/europe/italy/2013/135524.php)