出葉の調色版@ラクイラ愛好会

出葉(てには)が震災のことや防災のことについていろいろ書くだけのブログ。震災記事書き起こし: http://te2ha.blog.jp/

発達障害の子供が目を合わせない理由

突然ですが、私の友人(※日本人)は発達障害です(当時、アスペルガー症候群注意欠陥多動性障害と診断されたそうです。彼女は、特別支援学級に通い、高校生になってから全日制の進学校に通いました。)

発達障害の人が、他人と視線を合わせないのはなんでなの?」と発達障害でない友人から聞かれたので、彼女に聞いてみました。

まず、表情が何を意味しているかわからないから。極端に笑っているか、極端に泣いている場合ならわかるのだが、「普通の」表情の裏に何があるのか(喜び、悲しみ、驚き、それとも「無」なのか)がわからない。何を考えているのか、表情や声のトーンだけではわからない。言葉で「私は怒っている。それはこういう理由による」と言ってもらわないと、わからないそう。

次に、発達障害のある人には日常生活は刺激が多すぎて、どこに注目してよいかわからないから。例えば、カフェでお茶を飲むときには、カフェの中での煙草の匂い、その他の客の話し声、窓の外からの景色などに、どうしても意識がいってしまい、話に(まして、人の顔を見るのに)集中できないから。

また、「見つめすぎると相手は嫌がるし、視線を合わせなさすぎると、また嫌がられる。この加減がわからない。この塩梅がわからない。」とも言っていました。会話中目を合わせ続けていては、嫌な気持ちになる人も多いかと思いますが、彼女にはその塩梅を理解するのが難しい(彼女いわく、微積の問題のほうが簡単)そうです。

最後に、人の顔を見たとしても何もわからないから。それは恥ずかしく、屈辱的でさえあり(何故なのか?と聞いたら、「なんとなく」と言われ...)また、ずっと首を上に向けていることが彼女にはつらいそう(よくわからない...)

また、「私は無機質でイキイキしてないようなものが好きなの。例えば、コーヒーカップとか、教会(※彼女もまたクリスチャンで、私と彼女は教会で知り合った)のステンドグラスとか、オーストラリアにある図書館(※ヴィクトリア州立図書館のことらしい。メルボルンにある。)とか、ああいうものは美しいと思うの。でも、人間の顔は、私には(たとえどんなに美人だと言われていようと)美しさの対象にはならないの。それを見続けさせられるのは苦行よ。なんか、刺激が多すぎて。例えば、時々瞬きするでしょ?あと、頭を掻いたり、口に手を当てたり。あれを片隅から片隅まで見てるのは私には難しいわね。」とも語っていました。