4月6日で震災から10年になるラクイラに、温かい言葉を送りませんか。
「ラクイラはひとりじゃない(L'Aquila non sei sola)」と書かれた手紙が、ラクイラ市内の建物のあちこちに括り付けられたそうです。
詳しくはこちらをご覧ください。
「ラクイラはひとりじゃない」匿名の手紙が届いた。 - 出葉の調色版@ラクイラ愛好会
ここで、私には計画があります。
#laquilanonseisola というハッシュタグをTwitterやFacebook、Instagramなどで使って、日本からラクイラに温かい言葉を送りませんか?
4月6日で震災から10年になります。
できればその日に、忘れてしまうなら今からでも、私達にしか発せない言葉で、発信しませんか?
もしもご協力された方がいらっしゃれば、私がそれをイタリア語に翻訳いたします!
皆様の温かいご協力を、心からお待ちしています。
「ラクイラはひとりじゃない」匿名の手紙が届いた。
イタリアから心温まるニュースが届いたので、翻訳致します。
ラクイラ旧市街に、匿名の手紙が届きました。
手紙は約10年前に起きた地震で破壊された建物などに括り付けられています。
メッセージにはこう書いてあります。
"Chiunque tu sia, non sei sola"(あなたが誰であっても、あなたはひとりではない)
また、別のカードには、
"L’Aquila non è sola" (ラクイラはひとりではない)
と、書いてあります。
「ラクイラはひとりじゃない」
その文字が、市内のあちらこちらに見られます。
L’Aquila, il biglietto d'amore anonimo su vetrine e panchine: «Non sei sola»
外国人が日本の永住権を取る方法
外国人が日本の永住権を取る方法
原則として、日本国内に10年以上在住していることが条件となる。
ただし、日本人の配偶者がいれば3年以上と短縮される。
私的な備忘録:
外国人がイタリアの永住権を取る方法
原則として、イタリア国内に10年以上在住していることが条件となる。
ただし、イタリア人の配偶者がいれば2年以上、さらにこどもがいれば1年以上と短縮される。
また、イタリア人と結婚し、イタリア国外に住んでいる場合、3年以上となる。
【イタリア語】なぜ「半過去」は「半」過去と訳すのか?半過去の語源は〇〇にあった!
「災害の画像を見たくない」あなたにFirefoxの使用をお勧めします
「災害の映像や画像を見たくない」という方で、でもどうしても検索しなければならないことがあるという方へ。
Firefoxというブラウザには、「画像をブロックする」機能があります。
Easy Image Blocker – 🦊 Firefox (ja) 向け拡張機能を入手
これをインストールすると、Google Chromeでこのように見えるページが、
このようになります。
画像検索をしてみましょう。
こうなります。
ですが、「惨事ストレス」を防ぐため、災害の報道に触れるのは最小限にされることを強くお勧め致します。災害の報道を見ることによる後遺症があります。
ソース(情報源)は私です。
【イタリア語】お悔やみの表現
Non ho parole
言葉がない
Senza parole
同上
Mi dispiace
お気の毒に
Che strazio
なんて悲しいの…
Che terribile notizia
なんてひどい知らせなの…
Condoglianze
お悔やみ申し上げます
Ogni parola è inutile
どんな言葉にも意味がない
Riposa in pace
安らかにお眠りください(単数形)
Riposate in pace
安らかにお眠りください(複数形)
Nel giardino degli angeli del paradiso
天使たちのいる天国の庭から(私達を見守っていてね)
ラクイラの人々が「強くて優しい」理由
私はいつもラクイラ(イタリア中部)の人達の「強さと優しさ」に驚かされている。どんなに悲しい出来事が彼らの身に起きようと、決して弱さを見せないどころか、本当に屈強な人達が多い。
「強くて優しい」というのは、イタリア語ではforte e gentileというのであるが、それは私のサブアカウント(@forte_gentile)のユーザー名ともなっている。イタリア中部、アブルッツォ州の人々の気質を形容した言葉であり、私はいつも「本当にアブルッツォの人達は強くて優しい人達が多いな」と感じている。
言葉はアブルッツォの厳しい自然環境に由来するそうだ。アブルッツォは雪が降り、厳しい冬で有名だ。アブルッツォの冬は長く、そしてイタリア中部の割に寒い。それはグランサッソ(アペニン山脈の最高峰)が関係している。
だが、ここからが本題である。ラクイラの人々は、どうしてこんなに「強くて優しい」のだろうか?
答えは「連帯」だという。
約10年前の震災当時(私は当時いろいろと忙しく、ニュースを見る暇もなかったのだが)被災地に向けラクイラ全体が、イタリア全土が、そして世界中が、ラクイラに向けて「連帯」した。
日本もラクイラに向け多くの支援をした。それは「ラクイラ地震 ファクトシート」で検索すると外務省が行った支援が出てくる。
イタリアではDomani(明日)という曲がラクイラ、もっといえばアブルッツォのために演奏され、イタリア全土の歌手がラクイラのために連帯した。
そして、イタリアにて悲しい震災が起こる度に、ラクイラの人たちはあの日のことを思い、被災地に支援をするのだという。
事実、東日本大震災のときにイタリアからも多くの支援を受けたが、以下はウィキペディアからの引用である。
このように(この場合の「イタリア中部地震」とはラクイラ地震のことである)私達は連帯(solidarietà)をしてきたのである。
これがなぜ「強さと優しさ」に変わるのかというのは、昨日不幸にしてラクイラで起きた地震によりわかった。
それは朝食時に起きたマグニチュード3.6の悲劇的な地震だったのだが、その際に私のTwitterやFacebookのタイムラインを埋め尽くしたのは、
「大丈夫?」「心配です」「また地震…?」といった、連帯の気持ちだった。それはイタリア中から寄せられた、ラクイラへの温かい連帯だった。
とあるFacebookユーザーが、このように私に語った。
「連帯は、人を強くする。例えば、冷たい手を握り合うと、少しずつ熱を帯びてくる。その手は多くの人と繋がれば繋がるほど、より多くの人を温めることになる。そして、その熱が他者への優しさに変わるのだ。」
私は深く納得した。
被災者のもとに一日も早い安息が訪れることを願います。